2001年4月1日
礼拝説教題 「神の小羊」
出エジプト12:21〜36、ペトロT1:17〜21
神は、心がかたくなで神に背き続けるものに罰をお与えになりました。しかし、
罰である滅びから逃れる方法も教えてくださいました。
神は、人が滅びるよりも救われることを願っておられるからです。
その方法とは、小羊の血を家の鴨居と柱に塗ることでした。
その神の言葉に従ったものは滅びから救われました。
エジプトの国ですべての初子が死ぬという大きな災いが起こった時に、
イスラエルはこうして滅びを免れました。エジプトの国の災いは、
エジプトの国民だけに降りかかったのではありません。
イスラエルを奴隷のように扱っていたことに対する神の仕返しではありませんでした。
イスラエルも家に小羊の血が塗ってなければ、同じように滅びが押し寄せたのです。
小羊の血、それが滅びと救いを分けました。神に背いたことに対する罰は、
イスラエルだからといって大目に見られるものではありませんでした。
すべての人に公平に厳しく臨みます。イスラエルも背きを抱えていました。
神の救いを疑いました。エジプトの中にも良い人はいたでしょう。
立派な人や心の美しい人もいました。
しかし、それでは神に背いたことに対する罰を免れることはできませんでした。
滅びは厳しいものです。どんなに優秀であろうとも、血筋が良かろうとも、
それで滅びを免れることにはなりません。救いには小羊の血が必要でした。
主イエスは、救いに必要な小羊として来られました。
洗礼者ヨハネが主を指して「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言った通りです。
そして、主は十字架の上で血を流されました。人を滅びから救い出すためにです。
この主を信じ、主の十字架の血潮を抱えている私たちを救い出す。
神はそれを願っておられます。ゆえに、私たちは滅びを恐れる必要はもうありません。
自分の罪や弱さを痛感するときも、世にどんなに叫びが満ちたとしても、
たとえ死を目前にしたとしても、
小羊の血によって永遠の滅びは過ぎ越すからです。